Stories

  • Dear Ruby

    1997年、21歳。
    大学を中退したわたしは、バイトに明け暮れて貯めたお金でイギリスヒースロー空港への往復チケットを買った。
    帰りのチケットだけを持ってバックパックの行き当たりばったりの旅の途中に訪れたベイクウェルという小さな田舎町。
    そこでわたしは彼女と出会った。

    高校生の頃に買った雑誌FIGAROに「一度は訪れてみたいイギリスの美しい田舎町」という特集があった。それでベイクウェルを知った。古い教会のある、緑豊かな街の写真は素敵で、記事にはベイクウェルプディングが美味しいと書いてあった。いつか行こうとわたしはその雑誌をずっととっておいた。

    21歳。ついにその時がきた。
    まだインターネットが普及していない時代、全てが行き当たりばったりの旅だった。ベイクウェルへの行き方はFIGAROによると、ロンドンから鉄道でシェフィールドという駅まで行き、そこからタクシーで30分とある。まさか地元の人が毎日タクシーなんてことはないだろうからバスがあるはずと思っていたので、駅前に停まっていたバスの運転手に聞いてみる。
    わたし「ベイクウェルに行きたいんですが、ベイクウェル行きのバスはありますか?」
    運転手「ないよ。」
    わたし「え?」
    運転手「どうしてベイクウェルに行きたいの?」
    英語力の乏しいわたしは難しいことは言えない。そこで
    わたし「ベイクウェルプディングが食べたいんです。」
    運転手「笑、オッケー、乗りな。」
    とわたしをバスに乗せ、ベイクウェルに行くバスがあるターミナルまで乗せていってくれた。そしてベイクウェル行きのバスの運転手に、「この子ベイクウェルプディング食べたくてベイクウェルに行きたいんだってさ、よろしく。」と伝えてくれた。

    バスを乗り換え、出発すると「この子はベイクウェルプディングが食べたくてベイウェルに行くから、よろしく。」とアナウンスが流れた。
    次がベイクウェルのタイミングで一人の老女が話しかけてきた。
    「泊まるところはあるの?」
    これから探すところだと伝えるとバスを降りた後、インフォメーションセンターへ付き合ってくれたが、なんと休み。野宿が頭をよぎり呆然としていると、
    「ちょっと待っていて。」
    と言い残し、どこかへ行ってしまった。
    30分ほどして老夫婦を連れて戻ってきた彼女は、
    「彼らの家に行きなさい。」
    とわたしに言った。その老夫婦がルビーとエリック。

    それからロンドンへ戻る鉄道の予約までの1週間。毎朝起きたころにエリックがわたしの部屋に紅茶を持ってきてくれて、「飲み終わったら下に降りておいで。朝ごはんにしよう。」で1日が始まる。一緒に洗濯をしたり、庭仕事をしたり、買い物に行ったり、ミサがある日には教会に連れて行ってくれ、「今日は隣町まで散歩に行ってる。」と言うとお弁当を持たせてくれた。料理が得意なルビーの夕ご飯は美味しくて、お礼に食器洗いをかってでた。夕食の後はリビングで二人の大好きなドラマを見ながらシェリー酒を飲んだ。
    二人の穏やかな日常にの中で、まるで二人の孫のように過ごした1週間だった。

    出発の日、どうやってこのお礼をしたらいいのかと二人に尋ねると、「生きている間にもう一度顔を見せにきて。」と抱きしめてくれた。
    そして2年後、二人に会いにまたベイクウェルを訪れた。さらにまた2年後に。毎回別れの時には「生きてる間にもう一度顔を見せて。」と抱きしめてくれた。

    4度目に訪れたとき、エリックはいなかった。彼は前年に亡くなっていた。
    この時の滞在も一緒に洗濯をしたり、買い物に行ったり、教会のミサに行ったり、夜は二人でシェリー酒を飲みながらテレビを見た。変わらない日常。
    ただ毎朝紅茶を持ってきてくれるのはルビーになった。
    その頃、わたしは写真スタジオでアシスタントとして働いていた。バックパックは変わらずだったが、帰りのチケットだけじゃなくカメラを持って旅をしていた。
    一人になっても穏やかに過ごすルビーの日常をとらえたのが、この「DearRuby」です。

    そしてまた2年後、彼女の写真を持ってベイクウェルを訪れた。

    「Dear Ruby」APA AWARD 2007において経済産業大臣賞を受賞